お正月の餅といえば、あなたの思い出は何ですか?

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■餅はかつて、特別な食べ物だった

クリスマスも過ぎ、今年も残すところあとわずかになりました。

あれもしたかった、これもやろうと思ってたのに。
後悔と不完全燃焼気味な気持ちがヒタヒタと押し寄せるのが、
大晦日までの1週間。

大掃除、お節料理の用意、年賀状、そして餅つき。

餅つきは昔から正月を迎える大切な段取りのひとつとして、
年の暮れに行われていました。

今でこそいつでも食べられる餅は、かつては特別な食べ物でした。
正月や祝い事、節分、桃の節句や端午の節句、七夕やお盆、お彼岸など、
日本人は季節の区切りごとに餅を供えて食し、大切にしてきました。

弥生時代からあったと考えられている餅は、
そこに神や精霊が宿ると信じられ、神聖なものとみなされていました。
正月に床の間などに飾る鏡餅はその代表格で、
正月に家々を巡る年神様のために、家が代々続くことを願って、
串柿やだいだいなどを飾ってお迎えしたのです。

(参照元:日本文化いろは事典 米穀機構米ネット)

■日本の伝統食・餅が育む心

昔ながらの杵と臼で餅をつく家庭は、今ではごくわずかになりました。
地域などで行うところもありますが、
ノロウィルスの流行もあって、幼稚園や保育園などでは餅つきを自粛するところが
目立つのだとか。

安全には代えられないけれど、
日本の伝統行事がウィルスを心配して取りやめになっていくのは、
何とも寂しい・・・

わが家の子供たちが保育園に通っていた10数年前。
毎年1月に園庭で餅つきがあり、私も何回か参加させてもらいました。

もち米を蒸して臼に移し、先生や地域の方々に手伝ってもらいながら、
「よいしょ~!よいしょ~!」
と杵で一人ずつ餅をつきます。

用意していただいた甘辛醤油、あんこやきな粉をつけて、
つきたての餅を大きな口を開けて頬張って。

頭にバンダナの三角巾、幼児用のエプロンをつけたちびっ子達に混ざり、
ハフハフ言って食べながら伝統文化を体験できたのは、大人にとっても貴重な体験でした。

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■食の思い出は生涯、心に刻まれる

私が子供の頃は、家では家庭用の餅つき機を使っていました。

自営業で夫婦共働き。
忙しい年末、慌ただしい中、子供達も駆り出されて大掃除。

暮れも押し迫ると餅つき機で餅をつき、
つきたて餅を伸ばして、翌日切り餅にするのは父の役目でした。

手先の器用だった父が小さな鏡餅を上手に作り、
台所、床の間、玄関などに飾って周りました。

半紙を敷いて鏡餅の上にみかんをのせ、
「正月は神様が家に来るから、こうやってお迎えするんだよ」
そう言って教えてくれたのを覚えています。

お節料理と共に三が日に食卓に上がるのは必ず、雑煮と納豆餅。
母が作る醤油味のお汁に、とろんとした餅が入った「おふくろの雑煮」

澄まし汁ではない、ちょっと濃い味付けのお汁がわが家の味でした。

納豆餅は東北出身の父の故郷の郷土料理で、
焼き餅をお湯にくぐらせ、よく練った納豆に和えます。

子供の頃からこれが当たり前だったのですが、
ここ岡山では馴染みがないのだと結婚後に知りました。

ストーブの上には雑煮のお汁の鍋がいつもあり、
焼き餅を余らせたくない母は、
「あと何個食べる??」
とみんなに聞くのがお決まりでした。

一人ずつ順番に父が渡してくれたお年玉袋。
新しくなった部屋のカレンダー。
座卓を囲んで「おめでとうございます」と少しかしこまった元旦。

・・・・そんな両親も逝ってしまった今、
餅というと、正月のそんな風景が目に浮かびます。

慌ただしく母にうるさく言われながら、半分イヤイヤしていた大掃除も、
不思議なもので今では懐かしいな。

そういうお正月の思い出を残してくれた父と母に、今では感謝しています。

食の思い出は生涯、心に刻まれます。

便利で手軽にできる食品があふれる昨今、
正月料理は手間ひまかかって大変だな~と思うこともありますが、
日本のお正月の食卓を、大切にしないといけないな、と思います。
(もちろん、納豆餅はわが家で受け継がれていますよ!)

あなたの家ではどんなふうにお正月を迎えますか?

・・・・・
今年も1年、ありがとうございました。
来年もブログを更新していきますので、
HP、SNS、メルマガ共々、どうぞよろしくお願いいたします。

どうぞ良いお年をお迎え下さいね。


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