夏休みの宝物 それは家族と過ごした何気ない日常の中に
■大好きだったプール、進まなかった宿題
子どもの頃の自分はどんなことにワクワクしていたかな~と、夏休みが目の前のこの時期はよく思い出します。
早起きのご褒美のように、ラジオ体操のカードに上級生に押してもらうスタンプがうれしかった。
自由研究のヘチマの観察。(今は朝顔の観察が一般的でしょうか・・・)
黄色い花をつけ、ヘチマが日々大きくなるのがうれしかった。
採れたヘチマは乾かして身体を洗うタワシにしました。
プランターに植えたナスは紫色の花をつけ、つやつやしたナスが採れると、母が煮浸しや油炒めにしてくれました。
なんといっても夏休みの一番の楽しみはプール。
小学生だった昭和40年代後半から50年代にかけての当時は、キャンプは今ほど一般的ではなかったので、子どもにとってはプールが一番の娯楽でした。
学校のプールの予定表を机の横に貼り、宿題の算数ドリルは進まなくても、曜日や時間のチェックだけはバッチリでした。
自治体によって違うようですが、私が育った東京の下町では交代で先生数人がプール当番をし、水泳の指導をしてくれました。
指導時間の後には必ず自由時間があり、「はい、自由!」と先生が掛け声をかけると、
みんな一斉に「わーーー!!」とプールに飛び込んだものです。
25メートルを泳げるようになると水泳帽に1本、線が増えるのが勲章みたいで。
友達と競って一本線をもらうのが、目標になって楽しかったのを覚えています。
白いゴムひもの一本線をもらって帰り、母にねだって縫い付けてもらいました。
毎日仕事で忙しいのに面倒だな~と、内心では思ったことでしょう。
プールがある日は始まる1時間以上も前に家を出て、宿題や自習から開放されていました。
学校のプールなら、母も文句を言いませんでした。
早く行ってはプールバッグを入り口に並べて順番を取り、校庭で友達と遊んだり図書室で本を借りたり・・・
校庭の隅にちょうどいい具合に斜め向きに伸びているポプラの木があり、プールが終わるとその木に友達と登って寝そべり、借りてきた本を読んだりしました。
プールの後で気持ちよくなってウトウト・・・あやうく木から落ちそうになったことも、40年以上経った今でも鮮明に覚えています。
帰り道、プールの後特有のふわふわと気持ちいい感じ、真っ黒に日焼けした腕や顔、素足のビーチサンダル、シュワシュワシュワ・・・というセミの声、照りつける日差し。
両親が休みの日曜に、郊外の大きなプールに連れて行ってもらうのも楽しみでした。
流れるプールや浅いプール、深いプール。
帰りに駐車場近くのちょっとした芝生が青々としてきれいで、両親と私、弟2人の家族5人でしばらくそこに座って、わが家にはない芝生を楽しんでいた、そんな何でもない夕方のひとときが思い出されます。
■盆踊りには「マイムマイム」
プールと同じくらいに楽しみだったのが町内の盆踊り大会です。
7月最後の土日、広場にやぐらが組まれると、昼間から見に行ってワクワクしました。
いつもより早くお風呂に入ってご飯を食べ、窓から「東京音頭」と太鼓の音が聞こえてくると、母に「早く早く!」とせかして浴衣を着せてもらいました。
「まだ始まらないから大丈夫だよ」と言われても、お小遣いをもらうと近所の子達と一緒に夜店をまわり、大好きだった水飴などを食べました。
当時は1本100円ぐらいだったかな。
かき氷のいちごとメロンシロップをそれぞれ水で薄めた「色水」(と呼んでいた)が用意され、
おばちゃん達が入れてくれました。
無料なので、喉が乾くと何度もお替りしに行っていました。
唯一踊れた「炭坑節」がかかると、人数制限のあるやぐらに友達と競って上がり、まるでスターになったような気分で一人前に踊りました。
イントロがかかると子ども達がワーーーッと集まって丸くなって踊った「マイムマイム」。
履き慣れない下駄でステップして、帰る頃には足が痛くて引きずるようにして帰りました。
今でも「マイムマイム」の曲を聴くと、当時のワクワクを思い出します。
子ども達の踊れる曲をと、当時の町内会では「マイムマイム」をかけてくれていたので、盆踊りには「マイムマイム」がかかるものと思って育ちました。
今住んでいる町内の夏祭りでは全くかからないのを知った時、「マイムマイムがないなんて・・・」と、言葉にならないくらいのショックでした。
■家族と過ごした日常そのものが夏休み
夏休みに遠出して旅行したりした記憶はありません。
自営業の両親は、扇風機だけの猛暑の仕事場で汗だくになって働きました。
晩酌の時に父が、それはそれはおいしそうに目をつぶり、喉を鳴らして瓶ビールを飲むのを興味津々で眺めていた夏の食卓。
TVのプロ野球中継では、巨人の王選手が世界一となる756号ホームラン目前、という頃。
休みには子ども達にせがまれ、海やプール、いとこ達のところへ遊びに連れて行ってくれたりしました。
中学生になるとだんだん親について行かなくなり、口数も少なくなり・・・
今、同じように思春期の無口な子どもがいる身になり、あの頃の親はきっと寂しさもあったことだろうなと、しんみり思ったりします。
大人になって思い出すのは、小学生ぐらいまでの夏休みのこと。
のんびりな私に宿題をせかす母の小言。
父の晩酌とプロ野球中継。
特別に遠出しなくても、大好きだったプールや盆踊り、そして家族と過ごした何気ない日常そのものが夏休みでした。
子ども時代の幸せな思い出は鮮明に心に残り、時として一生を支えてくれることがあるといいます。
子育て世代のお父さん、お母さん。心に残る夏休みを思い出して下さい。
もうすぐ夏休み。
子ども達が大きくなって、楽しかったな~と思い出してくれるような、そんな夏休みでありますように。
二度とは来ない子ども時代、家族との日常を大切にしてほしいなと思っています。
■それぞれの家族の、それぞれの夏休み
⇒ https://romanzelog.info/koe/item20/