犬が教えてくれた大切なこと
■スピッツの雑種チロ
犬を飼いたくてたまらなかった子供時代。
昭和40年~50年代、今と違って犬を飼うのは比較的裕福な家庭でした。
当時の大人達は今以上に、仕事と子育てで精いっぱい。
犬を飼うどころではありませんでした。
しかも、室内で飼うなんてとんでもない!
当時は室内犬ではなく、座敷イヌと呼んでいましたよ(笑)。
犬を飼う家はほぼ外飼い。
残飯がエサでした。
ちょっと豪華だと汁かけご飯に魚の骨なんかが入っている。
ホームセンターで高価なペットフードがズラーッとと並ぶ今では、ちょっと考えられないでしょうね。
当時はコリー(ボーダーコリーではなく、普通のコリー)やスピッツなどが人気でしたが、
雑種を飼う人がほとんど。
ペットショップで買うのではなく、近所の家で子犬が産まれたのをもらってきたり、
捨て犬を拾ってきたり。
そう、捨て犬、野良犬も多かったのです。
近所に広い芝生の庭がある家があり、そこで放し飼いにされているコリーにさわりたくて、
小学校からの下校時にいつもその家の前で立ち止まり、コリーの頭をなでていました。
呼んだら自分のそばに来てくれる。
しっぽを振ってくれる。
憧れのコリーと、放し飼いのできる広い庭。
「ねえ~、犬を飼いたいよ~」
何度も両親にねだってみましたが、答えはいつも却下。
ある日の夕方。
そろばん塾の帰り、自転車を停めて友達と空き地に寄り道して遊んでいた時のこと。
今は大きな公園になったのですが、当時は空き地が多く、
トタン板や材木などが捨てられていたりしました。
そのトタン板に乗って遊んでいると、クンクンクン・・と、何やら動物の頼りない鳴き声が。
板をめくると、なんと箱に入れられた3匹の子犬が捨てられていました。
「連れて帰って飼ってもらおう!」
自転車の前カゴに1匹ずつ子犬を入れて、友達とそれぞれ連れて帰ったものの、
みんな親の許しを得られず断念。
人にあげたり、もう一度手放したりして、泣く泣くあきらめました。
それからしばらくして小学校5年生の頃、なかなか許してくれなかった父が、
犬を欲しがる子供達に押しきられ、近所で産まれた子犬をもらってきてくれました。
ある日、学校から帰ると自宅の隣で自営業をしていた父に
「事務所へ行ってごらん」
と言われそこで初めて対面したのが、オスの白いスピッツの雑種でした。
弟達があげた鶏肉を食べていて、こちらを振り返ったちょっと気弱な瞳の「チロ」の表情を、
不思議と今でもはっきりと覚えています。
(きょうからうちの犬になる!きょうからうちの犬になる!)
名前は何にする、犬小屋はどうする、散歩は誰が行く。
うれしくてうれしくて、その夜はなかなか寝付けませんでした。
日曜日になると父は器用に廃材で犬小屋を作ってくれて、
青いペンキを塗って白字で「チロの家」と書き入れてくれました。
「チロちゃん、チロちゃん」と、近所の子供やおばさん達の人気者になり、
散歩も初めのうちは弟達と競いながら。
犬を連れて歩くのがなんだか誇らしくてうれしかったのです。
ところがだんだんと成長するにつれ、友達と遊んだり試験勉強の方が忙しくなり、
散歩も気が向くと行くぐらいになっていきました。
エサをあげるのも散歩もほとんど母がするようになり、
「誰も面倒見ないんだから」
とぼやいていたのを思い出します。
■お別れが来るまで
チロは病気で、高校3年の時に亡くなりました。
注射といえば自治体から通知がくる狂犬病の予防接種ぐらい。
フィラリア、ノミ・ダニ、ワクチンと、今のように動物に高額な医療費をかけられる時代ではなかったこともあり、
十分なケアをしてあげられず、かわいそうなことをしました。
学校に行けないほど落ち込んで目が腫れるまで泣いても、命は戻らないのだと知った、初めてのお別れでした。
命を預かるのは責任がある。
かわいい、癒やされるという理由だけでは飼えないのだ、と。
「犬は人間より先に死んでしまうから、子供に悲しい思いをさせる」
父が犬を飼うのをなかなか認めてくれなかったのはそんな理由からだったと、
後になって母から聞かされました。
その後、弟達も捨て犬を拾ってきては一緒に世話をするのを何度か繰り返し、
そのうちの1匹だったメスの雑種を飼うことになり、しばらくしてどこかの迷い犬と掛かって子犬を産みました。
これも初めて経験した命の誕生と、その大切さ。
1匹は産後すぐに死んでしまいましたが、残った3匹のもらい手をしっかり探してくれた仕切り屋の母。
死んでしまった子犬を大切にタオルでくるみ、葬ってくれた父。
命を大切にする姿勢と、責任があるという実感は、この時初めて感じたように思います。
その後、鎖が外れてどこかに行ってしまい、母が保健所などを当たってくれましたが見つからず、
結局戻っては来ませんでした。
決して動物好きではなかったのにずいぶんと探してくれた母は、
「かわいい顔してるから、どこかで拾われてるよ」
と言ってなぐさめてくれました。
結婚してからも犬を飼い、今いる犬は3匹目。
実家での2匹同様、先に逝ってしまった2匹を、決して忘れることはありません。
かけがえのない思い出と経験をくれました。
今は独立した2人の子供達にも、命の大切さを教えてくれました。
あの悲しい別れがつらくて、もう犬は飼わないと思っても、
しばらくするとまた犬と一緒にいたくなるのはなぜだろう。
1匹でも多く不幸な犬を減らしたいという思いから、
今いる犬は2匹めと同じく、ボランティア団体から譲り受けた保護犬です。
もらってきた当時は推定3歳ぐらい。
今は推定11歳、すでに老境にさしかかっています。
大好きな息子と娘がこの春から巣立ち、3番手、4番手の私達夫婦しか家にいなくなって、
やっぱりちょっと寂しそう。
留守番が多くなったし、帰りも遅い日がある。
それまでと様子が違うのは、ちゃんとわかっている。
(しょうがないな、お母さんで我慢するか・・・おやつくれるし)
帰宅しての歓迎度がちょっと薄い時があるけど、まあそこは大目に見ながら。
ご飯の支度を始めると必ず足元へ来て、レタスやトマトの端っこを落としてもらうのを
しっぽフリフリで待っている。
わざとチラッと目を合わせると、期待満々でフリフリはいっそうスピードアップするから笑える。
そんな姿を見ていていつも思う。
(一日でも長く一緒にいよう。いつかお別れが来るまで)
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